はたママのつぶやき

2人の息子を持つ現役働くママのブログです。男の子って、息子って、とほほな事多いですよね。その他、働くママのつぶやきを綴っています。
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No  163

3月11日 東日本大震災の日のこと<地震編>

東日本大震災で、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また亡くなられた方々のご冥福を心の底よりお祈り申し上げます。


ようやく気持ち的にも落ち着いて来たので、あの日のことをつぶやこうと思う。


*************************************


あの日、3月11日14時46分、東日本大震災が起こった時、私は東京新宿区の9Fオフィスにて仕事をしていた。ちぇいちぇいは小学校、じくんは保育園。だーりんは泊まりの出張で前日まで岡山。当日のその時は、岡山にいるのか東京に帰って来ているのか連絡は取り合ってなかった。


私の勤める会社は小規模で、社長を入れて総勢6名。その内、1名はクライアント先に出向、社長はめったにない(1年に1回あるかないか)出張で関西にいたので、オフィス内は私を入れて女性3名、男性1名で仕事をしていた。


一番若い20代の女性スタッフがトイレに席を立ってる時、地震は起きた。最初は小刻みな縦揺れだった。


最初は、「あ?地震?」なんて感じで、関東に住んでいればしょっちゅう経験する程度の地震だと思っていた。もう1人の女性スタッフと、



「結構、揺れるね。あ、ちょっと大きくなって来た?」



と話していて、トイレに行ってしまったスタッフを気にし、



「○○さん、大丈夫かなぁ」と言っていた。そんな風に会話をする余裕があった。今まで何十回も経験している程度の揺れがしばらく続き、小刻みな縦揺れは、そのうちに横揺れに変わった。


今まで45年生きて来て、数え切れない程地震を経験し、今までの地震はこれでおさまっていた。



ところがだ。


横揺れがどんどん、どんどん、大きくなって行く。



「お、大きいよね!?」



私が言ったのか、もう1人の女性スタッフが言ったのか、同時に言ったのか覚えてない。オフィス内にいた3人で叫びあった、



「机の下にもぐったほうがいい!!!」



3人で一斉に机の下にもぐった。机の下にもぐった瞬間、もう1人の女性スタッフが、


「○○さん、大丈夫かな!」


トイレに言ったスタッフの事を言ったが、私でさえ机の下から這い出して、トイレに行ってあげる、なんて余裕はもうなかった。その時には揺れがMAXになっていて、机の下にある袖机が私の方にせまって来て、私は両手でそれを押さえるのに必死になっていた。

そして、思い出した。NZ地震で、倒壊したビルから助け出された日本人留学生がインタビューで、



「最初は友達とやばくない?と話していて、そうしたら突然床から落ちた」


と言っていたことを。




ガタガタガタガタガタガタ




建物の音なのか、オフィス家具の音なのか、ガタガタという音がクレッシェンドで大きくなって行く。


こんな経験した事のない大きな揺れ。



絶対に床が落ちる!建物が倒壊する!!



恐怖が襲った。


男性スタッフが叫び続けた、


「頭守って!頭守って!頭守って!!」


彼は、揺れがMAXの中、ずっとそれを叫んでいてくれたように思う。私ともう1人の女性スタッフはもう声も出なかった。

そこで、入り口から声が聞こえた、


「入り口開けておいた方がいいですか!!」


トイレに行っていたスタッフが戻って来たのだ。私達3人は一斉に声をあげた。私もようやく声が出た。3人で怒鳴った。


「いいから!テーブルの下にもぐって!そこのテーブルの下!!」
(入り口には打ち合わせスペースのテーブルがある)


彼女が戻って来たことに少し安堵し、しかし、相変わらずMAXで揺れ続けてる中、恐怖と戦いながら私は思った。




「私はここで死ぬわけにいかない」




私は2児の母だ。彼らを守らなければならない。だからこそ、まずは自分の命を守らないと!なんとしてでも生き延びて、彼らの元に帰らなければ!!!!!!


それから考えた。だーりんは岡山だ。そうだ、だーりんが東京にいないからこんな大きな地震が起きたんだ。だーりんは神戸出身。阪神大震災の時は大学生で東北にいた。だから経験していない。その後に起こった宮城沖地震の時は神戸に帰省していた。以前、東京の足立区で5弱を観測した地震の時もだーりんは出張で大阪にいた。「俺と一緒いたら大地震は起きないよ」とだーりんは言っていた。


私は意味不明に叫んだ。


「うちのだーりんが、東京にいないからこんな大きな地震が起きたんだよ!!」


こんな時にはっきり言って意味不明。でも、恐怖と戦う時間が長すぎて、何か言わずにいられなかったのかもしれない。


関東に生まれて、「関東には大きな地震が来る」と言われる中育った。学校でもそれを想定した訓練を何度も受けて育った。だから、地震が起こるたび、


とうとう、来たか!?


と思い、でも震度5以上は経験することなく45年が過ぎた。でも今回は心から確信した。



とうとう、とうとう、とうとう、とうとう
本当に来てしまったんだ!!




そして考えた。今の時間なら(正確な時間は見てなかったが、外の明るさで)ちぇいちぇいは小学校にいるはず。ちぇいちぇいの小学校は校舎を立て直して新しいから、耐震的には大丈夫だろう。問題はじくんの保育園… じくんの保育園は建物が古いわりに上に高い。その1Fにある…


さらなる恐怖が私を襲った。それはものすごい恐怖だった。体が震えた。そして、ただただ、ただただ、祈った。



早くおさまりますように。倒壊しませんように。
保育園も無事でありますように。


お願い!
お願い!!
お願い!!!





ひたすら祈った。
ひたすら祈った。
ひたすら祈った。



上の状況説明でもわかる通り、色々な思いが交錯する程、長い揺れだった。長い長い恐怖と戦った。



・・・・・・・・・・・・・・・・


そして、なんとか揺れがおさまった。ビルは倒壊しなかった。


皆で「怖かったね。。」と言いながら机から這い出し、「あ、これ倒れてる。あ、書類が散乱してる」等オフィス内をチェックしていると、すぐまた大きな余震が起こった。


地の底からエネルギーが突き上げてくるような、ダダダダダダダダダという感じの地響きがして、そしてまたガタガタと揺れ始めた。





「また来た!!!!!!!」





全員で叫び、また、皆で慌てて机の下にもぐった。その後も余震は何度も起こった。その度に皆で



「来た!来た!来た!!」


と言いあって、机の下には計5回ぐらいもぐったと思う。


途中、窓を開けておいた方が良いだろうと、窓を開けて、ふと外を見ると、外にいる大勢の人たちが皆立ち止まっていた。しかも車道の真ん中にいる人たちが大勢いた。落下物に気をつけるため、車道まで避難をしたんだろう。車道に避難してる、ということは車も全て止まっているのだろう。そんなことになる地震は本当に初めてだ。今まで経験した地震は、外で歩いていたり、車に乗ってる人は感じない程度で、外はいつもと変わらない風景が広がっていた。しかし、今回の地震では外は時が止まってしまったかのようになっている。


オフィスのドアも開けると、ビルの廊下もザワザワザワザワしていた。時が止まった屋外と、ざわめくビル内。いつも関東に良く起こる地震ではないんだ、という事がそれでも実感出来た。


その頃には少しは平穏を取り戻していた。それは、私のオフィスのビルは古いから、昭和40年代の建物だから、耐震基準が変更される前の建物だから、この建物が大丈夫だったし、オフィス内もめちゃくちゃにはならなかったのだから(後で気づいたのだが、なんとその日の午前中に女性スタッフが、背の高いキャビネ全てに転倒防止を取り付けていたのだ!!)自宅も実家も小学校も大丈夫だろう。たぶん保育園も…


私はまず、母が行ってるはずの中目黒(母の実家)に電話をした。だーりんが東京にいるとは思わなかったので、一番最初に連絡を取ったのは実母だった。何故なら、そこも昭和40年代のビル。じくんの保育園の次に心配だったから。もちろん、保育園に一番に電話をしたかった。でも先生達には園児の安全を第一にして欲しいから、電話をして邪魔をしたくなかった。預けてでも仕事を続けようと決心した時から、それは覚悟していたこと。何か起こった時、先生達を信じて任せるしかないのだ。


母は、駅から実家に向かう途中歩いてて、あと実家まで200mというところで地震にあった。最初は自分だけがふらついているのだと思い、ひどいめまいだ、と思ってその場にしゃがみこんだ。すると、あちこちの建物から人々が悲鳴をあげながら飛び出して来て、何事!?としばらく状況がつかめなかったが、しばらくして地震なんだと気づいた。無事だった。その後戻った母の実家も無事だった。


電話を切ると、私の携帯に知らない番号から電話がかかって来た。出ると、だーりんの声がした。番号は東京03を表示していた。



だ「あー、やっと繋がった。大丈夫?」
私「あれ?東京にいるの?」
だ「午前中に帰って来た」
私「なんだ、こっちにいたんだ。こんな大きな地震が起きたからてっきりまだ岡山かと思ってた。私は大丈夫だけど、じくんの保育園が心配。ちぇいちぇいの小学校は大丈夫だと思う。お母さん(だーりん母)には繋がらない(だーりん母は手伝いで東京に来てくれていて、私達の家にいるはずの時間)」



最初の電話はそれで切った。携帯は無理だったが、一般電話なら繋がるので、一般電話で義母(私の自宅)にかけまくっていると、ようやく通じ、無事を確認。ちぇいちぇいをどうするかは、小学校から指示があるはずだから、また連絡する、と言って切った。自宅は、テレビ台が前に進んだのと、引き出しが開いたのと、ロックをしてなかった窓が開いたぐらいであとは大丈夫、とのこと。17Fなので、相当揺れたと思うが被害は出ていなく、義母も無事で安心した。


その後、妹からも無事のメールが届き、旭川の友人から心配メールが届き、それらに返信しているうちに気持ちもだいぶ落ち着いて来た。


しばらくして、だーりんから電話が入り、保育園の無事が確認出来た、とのこと。これでひとまず安心が出来た。



<続く>
※長くなるので次は<徒歩帰宅編>にします。




↓東京での揺れはこちらで見られます。

2011.3.11 東北地方太平洋沖地震 その瞬間

これは江東区ビル5Fですが、私がいたのは新宿区ビル9F。このビルほどの被害は転倒防止器具等のおかげでなかったけど、この地震の長さがわかると思います。奥の洋服を見てると最初は小さいな揺れから始まったのもわかります。





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